行間を読む。
私が大学の学生時代、恩師が研究室で語った言葉がこれです。「行間を読め」。二十歳の人間にはなんのことかわかりません。先生、行間に何が書いてあるのですかと素朴に問い返しましたが、笑って答えてくれませんでした。お前にはまだ無理だろうなあ、という反応だったと思います。
先生は、そのとき「素読、通読、精読」という言葉を使ったと思いますが正確には記憶をしていません。とにかく最後は、行間を読むということでした。
いったい何も書いていない行間に何が書いてあるのか、わからないまま大学教師になりましたが、下記の文章で納得しまた。
読書三到 ドクショサントウ
朱熹「訓學齋規」が出典です。
《讀書有三到、謂心到、眼到、口到。三到之中、心到最急。》
(読書に三到有り。心到、眼到、口到を謂ふ。三到の中、心到最も急なり。)
文中の「心到最も急なり」とは、心で理解することが最も大切という意味です。なお『童蒙須知』にも「讀書要字々響亮、心到、眼到、口到」とあります。
読書するには、眼でよく見て(眼到・看読)、口で音読し(口到・音読)、心で会得する(心到・心読)ことが大切だという教えですね。
ようするに文章なんて、自分で考えるきっかけなんですよ。加えて、書いた人の本心をくみ取るのは書いてある文章からではくみ取れないですよ。読者の方にくみ取る力がないと読めないです。最近、そんな思いを抱かせる文章や読者の目の当たりにします。言葉尻をとらえてあれこれ言う例が多いように思います。言葉の裏、行間、そんなのを要求するのはいまは無理なんでしょうねえ。ま、それはそれで時代の流れなのかもしれません。古き良き時代の話でした。