新年のご挨拶(相互依存の社会で)
いよいよ2026年が始まりましたね。私は寝正月でして、毎日のように寝て過ごしておりました。
ちょっとこの状況を打開して少しは活動しようかとも思っているのですが、当面は無理ですね。なにせお布団のの中が気持ちよすぎます。
今年の権利擁護支援の動向はどんな感じになりますかねえ。共生社会論があちこちで議論されてくると思いますが、
中身が良く分からないところがあるのに加えて、相互依存についてきちんとした議論ができるかどうかが課題だと思っています。
共生社会についてなにかを語ることは難しいと思います。人は、みな他の人に依存して生きていく。これを相互依存と言います。このこと自体は最近の共通の知見となりつつあるようです。
相互依存で社会が成り立っていると理解したときに、難しくなるのが、自己責任の行方でしょう。相互依存の根底には、「強い人間」の否定があります。
共生社会が相互依存の社会だとみた時に、自己責任はどう考えることになるのか、そんな問題があるように思います。「弱い人間」の自己責任はどこへ行くのか、という問題ですね。端的に言ってみましょう。弱い人間の自己責任は追及しない。少なくとも、そんな方向に社会が進むのではないか。そんな思いが登場します。
愚行ですが、おひとり様、施設居住者、徘徊認知症の方々についてはすでにそうした議論に進みつつあるように思います。
問題は、我々がそうした社会変化に、慣れてないということでしょうね。でも、こんな議論をする人が、いったい何人おられるのか、良く分かりませんが、多くはないと思っています。
もう一つやっかいな問題が相互依存の社会にはあります。それは支援の問題です。「弱い人間」には支援が必要でしょう。では、そこでいう支援はどんなものなのか。他者を支援する人の存在は共生社会では必須でしょう。しかし、それは単なる善意の人なのか、それともなにか資格や研修を経た「一種の国家管理型」の支援者なのか。
これも端的に言ってみましょう。支援者はどんな人でも良い。意思決定支援との言葉も、どんどん使われてくると思いますが、なぜ意思決定を支援する必要があるかといえば「弱い」からです。「弱い人間が、弱いなりに」その人の人生を作っていく、そのお手伝いをすることが意思決定支援でしょうね。その人らしく生きていく、これは弱い人間を前提とする言葉だと思います。
とすれば、それを担う人は、「誰でも良い」ということになりそうです。ただ、支援者も「弱い人間」ですから、なにか資格があったり国家管理の中で活動しているから良いとは言えない。支援者もまた支援される必要があるのです。社協や専門職団体の人たちが支援者の役割を担うという側面は外せないでしょう。でもその人たちも、支援者としてのつながりを維持した、そして支援をされる人としてのつながりを持った人々ではないでしょうか。基本は「国家管理からはずれた」自由な独立系支援者としての活動が要請されるように思います。
現在、我が国の社会でそうした団体としてもっとも活動しているのが、手前味噌になりますが、全国権利擁護支援ネットワークです。われわれの役割は、ますます重要になってきます。
私自身は、清貧の中で、厳しいながらも、のんびりした年金生活を送るつもりですが、その中で私自身も支援を受けた支援者としての活動を行いたいと思っています。みなさんはどうでしょうか。
さて、2月に大宮で全国権利擁護支援ネットワークの「全国フォーラム」が開かれます。テーマから見ても登壇者の顔ぶれから見てみても、いまの日本の福祉を語るには外せない会合になりそうです。ぜひ多くの方のご参加をお願いいたします。
『全国権利擁護支援ネットワーク全国フォーラムin埼玉 地域共生社会を目指して~これからの権利擁護支援~』が、2月22日(日)・23日(月)にソニックシティホールで開催されます。
パネルディスカッションでは、1日目に「民法改正~成年後見制度はどう変わるのか?~」、2日目に「これからの権利擁護支援」をテーマに議論が行われます。
※参加には事前申し込みが必要です。







