雑談その2 大震災に思う
大震災に思う。
もう15年前になるのかあ。東北大震災の話がメディアで流れている。あまり過去を振り返ることはしない人だけど、この日のことは強烈に覚えている。
私は大学の研究室で来客と打ち合わせ中だった。突然、部屋が大きく揺れ壁に固定してあった本箱がすべて倒れた。長い研究生活で初めての経験だった。ちょうど部屋の外に出ていた私は、大声をあげて周囲の事務員に「なにかに掴まれ、動くな」と指示を出した。
しばらくして揺れが収まったが、大学側が、教職員は全員動くな、今いる場所にとどまれとの指示を出してきた。6階のフロアーにいた私たちは、1時間以上は、そこにとどまっていたと思う。
移動許可がでたので1階までおりて(エレベーターだか階段だったか、記憶にない)、来客と外に出た私はとにかくどこかに落ち着いて帰宅することを考えないといけないと思いつつも、落ち着く場所がない。研究室はがたがただ。戻れない。
飯田橋方面へ来客であった友人と歩くが店はどこも空いていない。そんな中で1件だけカフェのような店が開いていたので、そこに数人で腰を下ろして仕事の話を続けていた。電車が止まってるので動いても無意味だったからだ。
その店は親切な店で、壁に大きなスクリーンをだしてテレビのニュースを流していた。大きな地震があったことはすぐにわかった。突然、友人が大声をあげた。「家が流れている」。確かに流れていた。信じられない光景だった。
電車は動いていないし、店で数時間は時間を潰したあと、我々は帰宅のために移動することにした。同じ考えの人が道路にあふれていた。いわゆる帰宅難民だ。どこの駅に行っても電車は動いていない。夜の11時を過ぎようかというころたまたま地下鉄が1両動いていたのでこれを使って本八幡へ移動した。本八幡に着いたのは当然深夜だ。知り合いのラーメン屋で少し栄養補給をして帰ろうかと思ったけど、船橋方面の道路は車でいっぱい。いつもは15分ほどの距離を1時間以上かけて帰宅した。
帰宅してテレビをつけてまた驚いた。原発が爆発しているではないか。なにかの間違いだろうと思ったけど、この時、福島第1の現地では、自衛隊が到着して作業を行っていたらしい。動きが早くて頭が付いて行かない。時の首相がヘリコプターで現地に飛んだという報道に接したときは「馬鹿か」と思った。首相が現地に飛んだら、復旧作業が遅れるだろうことは素人目にもわかる話だ。
結局、ずっとテレビを見ていたけど、地震、津波、そして原発事故と、最悪の災害がこのあとずっと続くことになる。東京電力が国民(そして現場職員も)を騙していたこともその後、徐々に明らかになっていく。息のかかった東大教授が、プルトニウムは飲んでも大丈夫などとうそぶき、正論を唱える原子力研究者が冷や飯を食っていたこともその後、あきらかになった。
https://ameblo.jp/kiki77777/entry-10906626668.html
私の知り合いの研究者もずっと教授になれなかった。これが東電のやることだ。こうした話は、もう過去のことになった。お亡くなりになった方々に悔やむ記事をずっと続けることは必要だ。しかし、東電が過去において何をしてきたのかを我々は忘れてはならないと思う。







