『意思決定支援を踏まえた後見事務のガイドラインの基本的な考え方について』 (パブリックコメント)
標記につき、当ネットワークの運営委員会で意見を募ったところ、下記のような意見が寄せられたので、参考意見として提供いたします。
2020年6月26日
全国権利擁護支援ネットワーク代表
佐藤 彰一
はじめに
各位の努力によってガイドラインを作ろうとされている点は評価します。また、意思決定支援についてあまり考えを及ぼさない専門職への刺激となるであろうとも思量いたします。意思決定支援と代行決定の区分け・チームでの支援などの基本発想は、おそらく標準的なものでしょう。
ただ以下の当ネットワークの運営委員の意見にあるようにいくつかの危惧もよせられています。主なものを箇条書きしておきます。なお、各運営委員からよせられた意見を、その後に列記します。
1 ご本人の意思決定能力があるかないかを他人が評価する?能力存在推定の考え方から、あることが前提では
ないか。
2 支援者のチームのほかのメンバーの活動を後見人がチェックする?後見人もチームの一員でしかないのでは
ないか。
3 意思決定支援と代行決定の区分けがあいまいなため、代行決定の言い訳にならないか。
4 家裁が意思決定支援の適切性を判断できるか。裁判官や書記官の研修が必要ではないか。
5 中核機関にチーム支援ができるのか。できる中核機関ももちろん存在するとは思うが、多くの中核機関では、広報・相談に力をいれていると思われるため、意思決定支援のためのチーム支援は難しいのではないか
意見A
現場としては裁判所も含め専門職、社協、親族など様々な成年後見人が学び、研鑽し続けられる機会づくりと覚悟が必要かと思います。
意見B
「後見人に何が求められるか」の具体的なイメージを示すものとされていますが、「誰が」後見人に求めているのかわかりません。
被後見人等が適切に意思決定支援されているかをチェックして欲しいというのは考えにくいです。被後見人等としては、支援内容のチェック(評価)よりも、自分の意思が尊重された決定を後見人がすることを望んでいるのではないでしょうか。そう考えると、被後見人等と言うよりも、国の、政策的なガイドラインということになります。
本人のためのチームを後見人にチェックさせるのも、違うと思います。福祉サービスとも代理人としても微妙な立場にある後見人にチェック機能という一種の権限を持たせるのは、他のチームのメンバーからは煙たがられるのではないでしょうか。
「意思決定や意思確認が困難とみられる局面」の中に「意思決定能力アセスメント(評価)」というものがありますが、これは支援チームが「本人に意思決定能力があるかどうか」を判断するということでしょうか。これはパターナリズムではないのですか。「この人には意思決定能力が無い」と支援者に判断(決定)させるのは絶対に違うと思います。
また、チームが支援を尽くせたかどうかについても、チェック機能が与えられた後見人がすると思われるので、主観的な評価になると予測されますが、そうなると第三者の評価(裁判所?)は不要なのでしょうか。
また、ガイドラインを作成することで、意思決定支援や本人の意思を尊重することよりも、「ガイドラインに則らないといけない」ということに意識がいく危険性があると思います。
ガイドライン中の「意思決定能力アセスメント」で「本人が意思決定をすることが困難かどうかを判断する」という点が、たとえ一時的なものだとしても、障害者権利条約と矛盾していると思うので賛成できません。
チェック機能や「評価」についても、後見人がすべきことなのかと疑問です。
意見C
1 意思決定支援のプロセスでは、支援チームによる対応の部分でケアマネジャー等が中心となることが想定されていますが、本当に書かれているようなことができるか疑問です。成年後見の理解も進んでいない現状を鑑みてです。
ましてや、中核機関や後見人が理想通りの関与ができるのでしょうか。
2 代行決定プロセスでは、後見人がどの部分に関与し、誰がこの局面を中心となり、回すのかが書かれていないように思えます。「ケアマネージャー等がなくなり、支援者が」と主語が変わっています。ですので、意思決定支援プロセス同様にケアマネージャー等の責任や役割なのでしょうか。
なんでもかんでもケアマネージャーがと期待され、責任とされることに疑問があります。
いずれにせよ、実践では結論ありきで会議等に後見人が呼ばれることも多く、
誰かがこのような視点や考えで動くには関係者同士の共通認識が重要となります。ですので、これまでのガイドラインと同様に、正式公表後のガイドラインの使われ方を注視します。
意見D
ガイドラインの中で、後見人としてのチェック機能とありますが違和感が。チェックする立場なのでしょうか?後見人として必要な視点でありますが、チームの全員が持つ必要があるのでは?と思います。
また意思決定支援の具体的プロセスでは福祉関係者の責任において…CMを指しているようですが、そのように実施できるのかな?と漠然と思います。
意見E
本人とも会わず、代行決定が当たり前の後見活動をスタンダードとして作られているのでしょうか。そのため、大変違和感のある内容になっているのだと思います。
「意識的に本人と話をしたり、本人のことを知ろうと努めることや・・・」
「なるべく早期に本人・支援者と接触し・・・」
など、後見人ってこんなこともわからないの???と、思わせてしまうような内容ですね。
意思決定支援のプロセスで、
②本人を交えたミーティングから③意思が表明された場合の過程がとても大事なのに、いきなり③に飛んでしまっている印象です。
②から③を充実させないと、意思決定支援はできないと考えます。
簡略化しすぎて大事なことが伝わらないのではないかと危惧されます。
意見F
このガイドラインは、これまで主に法律家が本人抜きの代行決定をしてきたことへの警告のため、主に法律家の成年後見人等への本人抜きにするなというメッセージだと思います。
実際にガイドラインに書いてあることは出来なくても仕方ないのですが「ここに書いてあるよー!」と法律家に示せる紙があることが大事だと思います。
しかし、家裁が意思決定支援の良しあしがわかるとは到底思いませんが書記官が研修を受けるとか、理解しようとする姿勢が無いよりましという感じです。
マイナスがゼロになる ゼロになれるかなあ~という感じもありますがでもガイドラインが世にでることで少しは意識が変わることを期待します!
意見G
1 意思決定支援のプロセスについて
・ 支援チームの編成と本人を交えたミーティングを主催するのは、ケアマネージャー等の福祉職が行うとされている。
ここで、後見人は、「ミーティング主催者とともに、支援チームのメンバー選定も含め主体性を持って関わっていくことが望ましい」とされている。具体的に、後見人がすることは何なのか?ミーティング主催者に会議の開催を促し、参加者についても誰に参加して貰うかを指定するなど、いわゆるコーディネイト機能を期待されているように思われる。しかし、後見人の皆がこのような調整能力を持っているとは限らず、そのような能力を後見人に期待するのであれば、この点をより具体的に記述し、そのための研修等も併せて実施するなどのフォロー(報酬や予算面も含め)が必要ではないか。
・ また、中核機関に上記のコーディネイト機能を期待するむきもあるようであるが、「チームが機能していない場合」に、支援者らの意識の改革やチームの再編成などに関して、後見人が中核機関から支援を受けることが果たして本当に可能であろうか。この点では、後見人と同様に中核機関へのフォローも必要であると思われるが、必然的に地域差が出てくるであろうし、地域によって、本人ないし後見人が必要な支援を受けられたり受けられなかったりするという不公平が生じるおそれがある。
・ いずれにしても、制度的な担保がないまま、後見人に多くを求めすぎであるように感じられる。
・ また、ケアマネージャー等を含め福祉職に対して求めるところも大きく、担当者の能力や資質等で運用のされ方が大きく変わってしまうであろうことが懸念される。
2 代行決定のプロセスについて
・ 「代行決定のプロセス」というお題目が「意思決定支援のプロセス」の後に大きな主題として、並列的に(?)記載されている。このことによって、「代行決定」を行ってもいいのだ、というお墨付きを与える免罪符のような機能を持つ可能性が懸念される。
「身体拘束」の3要件について、この3要件を満たしていれば身体拘束をしても良いというように解釈されたり、虐待防止法の「虐待」の要件に当てはまらなければ、不適切な支援も許容されると解釈されたりするような状況が、意思決定支援の現場でも起こらないだろうか。
・ 大阪の意思決定支援ガイドラインでは、「意思決定能力がないとはいえない」場合は、「意思決定能力あり」と判断すべきであり、「意思決定能力があるとはいえなかった」場合は、基本的には、再アセスメントが必要とされている。
そして、意思決定能力があるとはいえなかった場合、何度でも再アセスメントを行うことが原則であるが、検討課題に期限があるような場合に限って、代行決定をする必要性を検討することになっている。その際に重要な視点は、「結論が先にありきになっていないか、後付け根拠資料として使われていないか」という視点である。ところが、今回のガイドラインでは、意思決定能力のアセスメントがその時点での1回しか予定されておらず、代行決定を行うことの「後付け根拠の資料」として利用される可能性が大きい。(確かに、「かつ、決定を先延ばしにすることができない場合」という限定がされているが、最初にさらっと書かれているだけなのでこの要件を意図的に軽く扱っているように思われる。)
・ 今回のガイドラインでは、「代行決定」に移行する場合の判断基準として、「意思決定すら困難な場合」と「本人にとって見過ごすことのできない重大な影響が発生する可能性が高いと評価される場合」の2つの基準が設けられてる。この2つの基準は、これまでも、家族や支援者らや成年後見人が、「本人では判断できないから」、「本人には無理だから」、「本人のためにならないから」、「無駄遣い、本人の少ない収入と貯金では難しいから」などという理由で代行決定を行ってきた際に用いられてきた言い訳であり、用いられ方によっては、上記のとおり、結論が先にありきで、「後付け根拠の資料」として利用される危険性が存している。
・ 今回のガイドラインが、結局、「代行決定」を行うためのガイドラインとなってしまわないか心配される。
・ もっとも、今回のガイドラインの趣旨・目的は、「意思決定の中心に本人を置く」ということに主眼があるので、かかる理念に基づいて支援を行うことができれば、結論が先にありきとなるようなことはない。結局のところ、運用次第では良くも悪くもなるという話なのかもしれない。
ただ、そうは言っても、水は低きに流れるの諺言もあるので、悪い方に(免罪符的に)使われないように、もう少し形式や表現に配慮した方がいいのではないか。(ただ、そうすると、大阪のガイドラインとほぼ同じ内容となり、それはそれで、実行するのが難しすぎるのではという批判が考えられる。)
・ 「意思決定の中心に本人を置く」ということは、本人の愚行権を認めるということで、第三者が本人の判断をとやかく言う立場にないということを明確にすることで、たとえば、出会い系のサイトで知り合った相手に新幹線に乗って県外まで会いに行きたいと本人が言ったような場合に、どのように支援するかということで、このような場合に、「本人にとって見過ごすことのできない重大な影響が発生する可能性が高い」と判断するかしないかは、支援者の考え方やスタンスによって結論がかなり異なってくるのではないかと思われる。本当は、その辺りを明確にした(支援者によって大きな差が生じないような)ガイドラインができれば良いのではないか。
3 ガイドラインに対する意見(全体)
・ 支援方法としての意思決定支援や法制度としての意思決定支援が果たして可能なのか?そもそも、人の「意思」とは何なのか?発語する言葉なのか、言葉の裏にある真意なのか?しかし、理念としての意思決定支援はよく理解できる。それは、このガイドラインの最初にも書かれているように、「本人中心主義」ということであると考える。
・ かかる理念を普遍化・浸透させるために、意思決定支援のガイドラインを作成・発表することには一定の意味があるであろうし、制度としての意思決定支援を策定することは、理念としての意思決定支援を喧伝することと重なる。
・ 意思決定支援は、障害者権利条約の要請でもある。障害者は、これまで制度的に構造的に差別をされてきたといえる。これを、どんなに重い障害を持った方であっても意思決定の主体として捉え、本人を中心に置くことで、制度的・構造的な差別の網から障害者が逃れられる契機となることが期待される。いま、アメリカで問題となっている黒人に対する制度的・構造的な差別に対して、「ブラック・ライブズ・マター」ということが言われている。アメリカのことを良く知らない日本人の私が軽々に言える問題ではないかもしれないが、意思決定支援の問題は、この黒人の「ブラック・ライブズ・マター」を障害者の問題として捉え直したともいうべき、制度的・構造的な差別からの脱却の問題ではないかと考えられる。
・ 他方で、「代行決定」を行うためのマニュアルと化してしまえば、絵に描いた餅となりかねない。障害者虐待防止法が制定された背景には、障害者への深刻な虐待事案への反省があったが、実際に出来た障害者虐待防止法は、今のところ、必ずしもうまく機能しているとはいえず、虐待死亡事件の起きた袖ケ浦の障害者施設では、外形上は虐待防止法が完全に遵守されていたにもかかわらず、深刻な虐待が日常的に行われていたと報告されており、かかる状況に鑑みれば、虐待防止法を遵守しているという「隠れ蓑」を免罪符として利用することで、虐待を水面下で助長・温存させていたともいえるのではないか。
同様に、意思決定支援のガイドラインが、形骸化し、支援者が支援しやすくするための単なる「代行決定」のマニュアルとなってしまうようなことがあれば、元も子もない。
・ 以上のようなことを考えると、意思決定支援が可能かどうかということはひとまず置いておいて、もう少し理念のところで、意思決定支援が権利擁護支援の問題であるということを強調すべきではないか。
・ 加えて、内容の点でいえば、意思決定支援と代行決定との関係をより明確にした形での修正が必要と考えられ、代行決定は必要最小限の範囲で、意思決定支援を尽くした上での最後の手段(ラストリゾート)として位置づけられるということをより明確に打ち出すべきである。また、「支援のしやすさを優先していないか、支援者のための根拠付けになっていないか」、「結論が先にありきになっていないか、後付け根拠資料として使われていないか」といった大阪の意思決定支援のガイドラインでも取り入れられている視点を今回のガイドラインでも取り入れるべきではないか。
・ 当ネットワークのメンバーとしては、本年2月に開催された京都での全国フォーラムの報告なども踏まえて、必ずしも成年後見制度内での運用の問題だけでなく、能力不存在推定から能力存在推定への“パラダイム転換”が必要であり、意思決定支援が障害者・高齢者等の人権に関わる権利擁護支援のための重大な問題であって、“転換”後は決して後戻りの許されない不可逆的な動きであるという、前向きで、力強いメッセージをガイドラインにも盛り込んでいただけたらと願うところである。
意見H
このガイドライン作成の目的については、ほかの方の意見にもあるように、これまで後見業務の中で意思決定支援を意識されなかった方が、今後意思決定支援を行っていかなければならないという意識を持ち、実践できるようにするため、ということだろうと思います。
なので、皆さんのおっしゃるような修正すべき点はあるかと思いますが、あまりハードルを上げると「そんなんできませんわ」となり見向きもされなくなるので、最大公約数的なもので作成したものと思います。
この点からすれば、実際に利用しやすいものになっているのか、という視点が重要なのだろうと思います。
その点で言うと、後見人が主催するのではなく、CMや計画相談事業所等が開催する会議にて行うというところが、開催しやすさなのだろうと思います。
そして、実際に行うためには、チェックリスト等により確認項目等が明らかになれば、より使いやすいものになるのだろうと思います。
このガイドラインは、虐待対応における厚労省マニュアルのように、これを前提として各地域でカスタマイズされたものを作成されることも意識しているように思います。
各地域の実情に合わせ、あるいはもっと詰めた内容にできる地域はそのようにしてもらう、ということなのだろうと思います。
そして、改訂にあたり各地の取り組みなどを参考にして、色々と取り入れてバージョンアップする、を期待しているのではないでしょうか。
ただ一点、改善されるべき点としては、ほかの意見にもあるように、代行決定に行く場合の基準がもう一つわかりづらいので、安易に代行決定に流れないか、という点はあると思います。
また、使いやすくするためマニュアル化したことによる弊害は当然ありますので、その辺りをどうクリアしていくかも課題です。
意見I
ガイドラインへの意見聴取資料はまとめられたものなので具体的な詳細内容は不明であり、表面的な意見としては本ガイドライン以前に策定されているガイドライン(障害、認知症、終末期、医療)があるので、後見事務においては既存ガイドラインを全体的に包含したガイドラインである必要があるのではと解釈します。
・個々のガイドラインを見渡すと、チーム支援と本人の意思表出を可能にする環境整備(物的及び人的等)が求められていると判断されますので、後見人の専門性(義務と権限)としてどのようにかかわるかが実務で参考とする指針として活用することは可能ではないかと思います。
・ガイドラインにおける、意思決定支援のチェック機能は後見人にのみ課せられるのではなく、チームメンバー全体に意識化されている必要があるのではないでしょうか。また、その上で、支援が適切に実施されているかを家裁が監督することはかなり難しいのが現状ではないでしょうか。そのためにも、各種ガイドラインをそれぞれの分野で理解し実践するための意識付けに向けた研修等を実施していただく必要があります。それが、後見事務における意思決定支援の基盤になるものと思います。
・本ガイドラインに位置付けているチーム支援は、福祉分野ではプロセスとしては普段通りのことではないでしょうか。現状でも、本人の状況をよく理解するメンバーに声をかけてケア会議などを実践しているはずです。ただ、その場面において本人中心主義がおろそかになっていたり、客観的事実の支援、または支援者の価値観での支援方針への誘導がないわけではないので、あらためてガイドラインを活用した意識付けをすることは重要と思います。
・本人の意思がつかめない場合でも、支援方法を決定しなければならないのが現場だと思います。代行決定も含めた、実践のスケールがあることで、スムーズに進められることも多いと思います。(あくまでも本人にとって最善の)
・ここ数年かけて、各種ガイドラインがしめされた経緯がありますが、策定しただけでは活用はされないと考えられるため、国においてはガイドラインを作成し、周知し、実践、そして実践を通じた見直しを一連のプロセスとして推進することを望みます。
意見J
「ガイドライン」は指針にすぎないと思われるので、今後これらがどれだけ具現化され、実効性のあるものになっていくのかが気になります。「支援者側の共有認識・基本的姿勢」や支援チームついて書かれていますが、認識の共有もさることながら、それぞれの立場がいかに対等な関係性を築けるか、それぞれの支援が本人意思に基づくものかどうかを絶えずチェックしあえるかというところに、大きな課題があるような気がします。常に「権限」を振りかざす後見人、主体性がなく、常に誰かに決めてもらいたい支援者、という図も、往々にしてみられると思います。
また、家裁もそうですが、中核機関に責任を持つ行政自体の認識も必要になってくるかと。
このガイドラインを当たり前のこととして実施するとなると、裁判所への定期報告の在り方も当然変わってこなければと思います(家裁がどう判断するか、できるかがまさに課題とされるところなのでしょうが)。
「※後見人としての意思決定支援…*1」のところの、「※後見人は、自分の価値観が決定に影響しないように気を付ける必要がある」という記載が微妙に小さく書いてありますが、ここはむしろ協調すべきところと思います。
どの職種にあっても、今後の後見人養成課程には少なからずこのガイドラインが重要なものになるでしょうが、既に後見を始めている人が認識を改める(新たにする)機会の確保も必要なのではないでしょうか
意見K
◎チーム支援の強化について
支援者の認識・専門性からくる相違や、縦割り(分野ごと)で世帯に関わってしまうなど、チーム自体がうまく機能していない状況が現場では多く見受けられます。そのような中で本人の意思や本音を読み解きながら「意思決定支援」をするのは非常に難しいと思います。
よってチーム支援の機能を強化するためにも、中核機関や包括的相談支援体制の整備等も並行して進めていかなければ「意思決定支援」も地域や現場で機能していかないと思います。
意見L
ガイドラインを読んだ印象ですが、本当にこのガイドラインで、意思決定支援は実現できるのかという思いがしました。多くの関係者が参加して、チームで意思決定支援を行う事は、重要ですが、本人の過ごしてきた人生や現在の考えなどの情報を共有しなければ、意思決定支援をおこなうスタート地点にも立てないような気がしています。
また、病院で入院している被保佐人さんの支援などを考えると、チームで意思決定支援をおこなうとなると、環境整備の課題も大きく、常に、ケースバイケースとなり、どこまで、このガイドラインが、機能していけるのか、イメージが付きませんでした。
しかし、ある程度の基本となるガイドラインは必要でしょうから、作成は反対するものではありませんし、機能できるように、見直しながらも、現場に適したものにしていただきたいと考えています。
実際、多くの現場を経験してきた個人(後見人)として伝えたいことは、成年後見制度ですら充分に理解されていない現状のなかで、意思決定支援がどこまで機能できるのか、支援者達の力量も大いに求められると思います。
ガイドライン策定と合わせて、国を上げて、意思決定支援の勉強会や研修会の開催も、積極的に行ってほしいと思いました。
意見M
ともすると不正防止だけに意識がいって、意思決定支援という認識で後見業務を行っている人は少ないのではないかと思います
その意味で、別の委員が発言されるように、「法律家の成年後見人等への本人抜きにするな」という意見に賛成です。